**HSPのてんこ盛り**

もう、なんというか・・・ほんっとにね!(TT)大変だわ。。

消してしもたーー!!

パンケーキ事件のその後の話しあいのこと書き上げて、

 

さて、公開するぞ、で、閉じるを押してしもうたぁぁぁああ!!

 

めっちゃ悔しい。もう力尽きたわ。ヌケガラやわ。

 

明日気が向いたらもう一度簡潔に書き直します。

 

結論は、

 

しくじり先生でホリエモンが言ってたMeWeNow理論という方法を用いて話してみたら、

スムーズに平和裏に解決した。すんなりと受け入れてくれた、という話し。

 

あああーーー。書いたのにーー。寝よっと。

 

 

そもそも罪って何だ!?

眠れそうもないので書きます。

 

夫のおかしな言動に過剰な反応をしているのは何よりも私自身が「罪悪感」という亡霊に悩まされてきたから。

 

下書き保存している記事に、私の生い立ちを書いてる。

ある事件で幼い頃から罪の意識を感じながら生きてきた。

そして思春期に罪悪感から開放されたいがためにあるキリスト教系の宗教に入り罪を許してくださる神を信じた。

 

善と悪、正しいと間違い、白と黒、それを測るモノサシになったのが聖書だった。

25年もの間わたしはそこに居た。

信仰を持って神に喜ばれる生き方をしようと努力した。

 

しかし、その組織の中では色んなことが有り過ぎて、

私の心は潰れた。

白か黒しかない(例えば救われるか滅びるかというように二極化している)信条の中ではグレイゾーンは信仰の弱い人とみなされる。

 

聖書によると人間は全て生まれながらに罪人で悔い改めるならば許される。

心の中までご覧になる、と書いてあるので心が休まる時などない。

罪という概念はここから生れたんじゃないだろうか。

 

ある時わたしは、、

いや、こんなところに細かく書いても理解されるはずも無い。

が、洗脳されていた二十歳の私に起きた事件は私に決定的な罪の意識を植え付けた。

 

自殺さえ禁止される宗教の中でどうすれば罪を償えるのだろう。

そんなことを毎日考えて自分を責め続けた。まずは自己犠牲を示す生き方をすることだった。自分を後回しにして神のため人のために自分の命(体力お金時間思いなど全て)を捧げることにした。

 

体力の持ちこたえるうちはどうにか動けていたが消耗し切ると安全装置としてのブレーカーが落ちた。

結果として結婚2年目に重いうつ病を患うことになってしまった。

 

それでも頑張り続けることに価値があると思いこんでいる自分は自分を犠牲にすることで罰を与え続けた。

少しでも元気になったら集会に行かなきゃいけない伝道にも行かなきゃいけない頑張らないといけない。それが神へと組織への贖罪なのだから、と思いながら10年以上が過ぎた。

 

私には「罪」と「罰」という言葉が重過ぎるのだ。

 

うつで集会にも行けない時期が続いたので毎日聖書を読んでいた。

が、ある日ふと、気がついた。

 

聖書は、どの箇所を強調するかによって如何様にも解釈できる書物なのだ。

集会に来ることを強調すれば集まりあう組織になり、伝道の箇所を強調すれば伝道する集団になる。

 

取り上げられることはなかったが仮に組織が「地を破滅させている人達を破滅に至らせる定めの時が到来した」という黙示録の一聖句を強調したとしたら恐らくエコな団体が出来上がっていただろう。

 

しかしそういうことはなかったので、

どこを強調するかで組織の思い通りの集団ができるのだな、と気づいた。

 

そしてネットの時代が来てあれこれ調べているうちに、

組織への疑問や、聖書そのものへの疑問、そして聖書の神への疑問も出てきて、

前々から浮かんで打ち消していた疑問をもう一度外側から見つめなおすことにした。

 

そして今から13年前、

私は夫と共にその宗教を辞めた。

 

しかし時々やってくる罪悪感、夢で魘されて「ごめんなさいごめんなさい」と叫んで目が覚める、そんなことは宗教をやっていた頃の後遺症だと思いこんでいた。

それは確かに大きなトラウマになっている。

 

子供の頃のトラウマと思春期から続いて13年前に辞めるまでの宗教トラウマ、

いずれも課題は「罪」

 

そんなわたしだから、パンケーキ焦がしたくらいで「罰しなきゃあかん」なんて言いやがる夫に腹が立つのだろう。

私の罪悪感が感染したんだろうか。私が開放された今になって?

 

そーーんな小さなこと、

どうでもいいじゃないか。

何が罪だ!何が罰するだ!!とことん罪悪感で苦しみぬいた人間からしてみたら、

パンケーキ焦がしたくらいで何が罪だ、何が自分を罰しなきゃだ、

 

ああ、腹が立ってたまらない。

 

生きてたら色んなことがある。

理不尽なこともある。

失敗続きで心が弱ることも当然ある。

 

だからこそ、

小さな事くらいは、取り返しのつくレベルの失敗なんて罪でも罰でも無いわい!!

アハハ、焦がしちゃった捨てちゃおう。で済ませて欲しかった。

 

これも私の拘りの押し付け?

暴力?

 

私の友人が、夫婦仲の良かった友人が夫の失業をきっかけに離婚することになって、

それって単に金の切れ目が縁の切れ目という単純なものではなく、

お互い我慢しあう、それが過ぎた、これが離婚の一番の原因だと思った。

 

だからこういう時こそ、気まずい思いはしても本音で(しかし言葉とタイミングは選んだ上で)きちんと話し合わないといけないんだたと思う。

我慢してたらいつか嫌いになるからね。ちゃんと伝えないと。

 

明日、言おう。

 

焦げたパンケーキ

日曜の今朝、ふとパンケーキが食べたいと思った。

きっと火曜日の朝、パンケーキにたっぷりメープルシロップをかけて食べたらリラックスしてプチ回復したからだろう。

 

夫が焼いてくれるという。ありがとう!とお願いした。 が、一枚目を焦がした。

その後、驚く光景を目にすることになる。

 

夫は「失敗した自分への罰や。罰しやなあかん。」と不機嫌な顔をしながら小さい皿に盛りフォークのみで食べにくそうに口に放り込んでいる。

 

パンケーキを焼くのを失敗した自分を罰する??

何が罪なの?

失敗することが罪なの?

 

不愉快になってきた。

まるでゴミ箱に投げ込むかのように食べ物を口に放り込む。

罰や、とつぶやきながら。

 

その場は『そんな責めなくてもいいのに』とだけ触れて『美味しいよ。ありがとう』

と伝えたが心は複雑な思いでもやもやが止まらない。

 

今夜中に話しを伝えたかったけど、 もう寝てしまっているのでブログに書いておこう。こういう愚痴を言えるのが顔の見えないブログの醍醐味だと思うから。

書かないとたぶん眠れんわ。

 

自分の失敗を罪とし罰するという発想は、 本当に人を緊張させるものだ。

緊張感のありすぎる空気は耐え難い。

 

そんなやつが目の前で口に放り込んむ罰ゲームを見ながら食事するのは美味しいはずなんてない。

正直パンケーキの味なんてわからない。

悲しいな。

気分悪いな。いったいどうしてしまったんだ。あんなに高慢な人間だったのに。

そういう懲りないところが良い所だったのに。

 

あ、いや、そういえば新婚当時わたしが作ったおでんを夫が焦がしてしまい、 落ち込んでしょぼくれて階段のところで座っていたのを思い出す。

 

あの画はカルチャーショックだった。

男の人で、こんな小さなことで落ち込む人間が世の中に居るのか・・ 周りに居なかったから見たことが無かったから新鮮な経験ではあった。

 

何度も何度も失敗を繰り返すのは懲りていないからかもしれない。確かに しっかりと懲りるのは大事。

でも、それならば上手になるまで練習するとか今度は気をつけるべきところを明確にしておくこととかできるはず。

 

それをあんなふうにしょげて罪だ罰だ言ってる人間は尊敬できないどころか、 悲しく哀れにさえ思えてくる。

 

大した意味などなく、 ただ単に私に何か言われない為のプライド傷つけられたくないからというパフォーマンスならいいんだけど。

 

けど、焦げたくらいで私が責めるか? 私そんなに心が狭い人間なのか?

いや、いや、有り得ん。笑ってすまそうよ。私もそうして欲しいから。

 

なんとも言いようの無い気持に今ぐらついている。

今夜眠れるか心配・・・。

 

 

 

逆さになってみよう

 

真正面は四角に見えるのに上から見るとと丸いマグカップのように、

角度によってモノの見え方は変わるから今の状況(収入が無い、体調が悪い等)を乗り切るために少し角度を変えてみようと思っていて、

 

なんならいっそのこと逆さになってみよう、

と思い至って、

 

まずは日常の決め事を壊してみる、という実験をしている。

 

それはほんのちょっとしたことで、

いつもはリビングから掃除機をかけるのを違う部屋にコンセントを刺してそこからはじめてみるとか、

 

犬の散歩コースを右回りから左回りに変えてみたり、

時間帯を変えてみたり。

お風呂に入る順番や時間を変えてみたり。という小さなこと。

 

すると面白いことに気がついた。

光の当たり方が違うから普段見落としていることが見えるのだ。あ、普段気がつかなかったけどここ汚れてるな、とか。

同じ散歩コース同じ景色のはずなのに右回りと左周りだけでこんなに違って見えるものなのか。とか。

 

それを感じるようになってから、どんどん面白くなってきて、

最近もう少し大きなことにチャレンジを始めた。

 

前の記事に書いたようにあえて部屋着でノーメイクで外出してみる、というのもそうだけど、

夫に対する態度を変えてみることにした。

 

特に夫が車を運転しているとき。

私は助手席に乗る。

夫は車の運転をすると人が変わったようになるタイプなのだ。(そういう人って居ますよね)

 

『どこ見とんじゃボケ!免許証ドブに捨てたれ!!』

なんてのはまだ可愛らしいほうで、これでもかととにかく大声で罵りまくる。

窓を閉めているから相手に伝わるわけでもなくただのストレス発散なのだろう。

 

それが助手席に座っている私にはけっこうストレスで、

大きな声で怒りまくっている人の横に居るとなんとなく自分が叱られている気持ちになってきて凹んできて無言になってしまう。

 

手始めにここを変えてみたれ、と思って黙るのをやめた。

夫が罵ると、その横で夫を上回って酷い言葉で罵りを浴びせる。

相手に聞こえるわけじゃないからね。

 

車の中ではとことん悪いヤツになってやろうと決めてたから、

逆に夫よりも先に私のほうから罵りまくることにした。

 

ネズミ捕りで捕まっている車を見ると、

手を叩きながら大笑い。『お~お~捕まってやんの。泣け!!頑張って罰金払えよボケ!』

 

すると、

『そこまで言わんでもええのに。気の毒に。』と夫の意外な反応。

 

これには『!!!』←びっくりマーク連打。

 

危ない運転を見たとき、夫の『どこ見とんのじゃボケー!』がはじまると、

それに乗っかるように『っとにお前の頭は何のために着いとるんじゃ!帽子の台かぁドアホ!!

いっかい事故れ!人巻き込むと迷惑やから自損せい。大怪我してとことん苦しめ!』

と大声で上回って罵ってみた。

 

すると、やっぱり。

『風花さん・・・怖い。』と夫。

口汚く人を罵る素質は私のほうが上だったようで夫をドン引かせている。

 

面白いなー。

新しい自分発見。っとに、面白い。

 

最近特に、この夫を上回って・・というのがマイブームで、

仕事も無い夫がテレビを見てごろごろしていると、

それ以上にごろごろして食器一つ洗わず放置。

 

森山直太朗「Q・O・L」という曲。

『♪ほーらニートはシューズを履いて/

そうさエリートはスーツを脱いで/

飾らぬままでいけばいい/逆さになってみればいい/

問いかけてみれば分かるさ/

そうクオリティーオブライフ』

 

大好きな一曲。

 

これからも逆さになってみるチャレンジを続けるつもりで、

面白い結果が出たらブログを通じて報告したいと思っている。

 

あー、そういえばこのブログもこれまでの自分とはちょっと違う。

自分の恥ずかしい部分、情けない部分、愚かで弱いネガティブな部分をどんどん曝け出してドン引きされてみよう、と覚悟してはてなブログを始めたので。

 

すると不思議なことに同じ匂いがするけれどもとても素敵な方のブログに辿り着いているから、これがまた面白い。

 

 

 

 

 

どら焼き♪

 

ずっと待ってましたよ!この日を。

 

市内の和菓子店でモバイル会員に登録していて、

誕生日からひと月以内にどら焼き5つをいただける、というシステムになっているのだ。

やったね!今年もどら焼き5つタダでゲットしたね!!

 

冷凍保存してある手作りの甘味は底を付き甘いものを求めて家中探し回った挙句、

期限切れの缶パンを見つけて4つしか入ってない金平糖を毒吐きながら貪ってた甘味中毒の禁断症状の患者(?)のところにさ、どら焼き5つやってきたらそりゃもう・・

 

結果は火を見るよりも明らかでしょう。

 

ああー。甘い!

クソ甘いぞ!上顎が痒いぞ。舌がピリピリするぞ。

 

それでも食べたかった、甘いどら焼きが目の前に手の中に5つもあるんだからもうー。

つい止まらず3つ食べてしまった。

アホや。はい、アホです、わたし。

 

でもまだ残り2個もあるのだぞ。

これは大事に食べよう。

うしししし。。くくくくく。。

 

体調回復したら小豆買ってきて圧力鍋で焚いて冷凍しとこ。

夏場、水羊羹とか白玉あんみつとか重宝するもんね。

家で作ると白砂糖使わないから舌ピリピリしないし。

 

あ、

白玉あんみつで思い出した。

 

夢をかなえる象のガネーシャ様は、

白玉あんみつが大好物だったな。

最近読んだ本で一番面白かった。

 

ガネーシャのキャラが人間くさくて(しかもダメ人間なほうの)、

大好き。

そして考えさせられる。

著者水野敬也さんの文章が解かりやすくて読んでてるんるんな気持ちになってくる。

 

夢をかなえるゾウ 文庫版

夢をかなえるゾウ 文庫版

 

 

シリーズ1、Ⅱ、とすでに読み終え、

最新のⅢを図書館に予約したのが4月初め。

かなり待ちありますよ、と念を押されたけど5月末でまだ連絡入らず。

 

待ちますよこうなったら。

買えなくて申し訳ないガネーシャ様。

Ⅲは「断捨離」だそうな。首長くして待ってます。なら買えよ!とは言わないで(泣)

 

 

 

やっと聴けた歌

3月末に仕事を失ってからずっと緊張していたのかもしれない。

 

いきなり、中島みゆきが聴けなくなる。という現象が起きた。

あれだけ聴きこんでいたというのに、どうしてなのか急に受け付けなくなった。

身体が拒否している、というイメージだ。

 

そして今日、

やっと聴けた。いきなり聴けた。

実に2ヶ月ぶりだ。

 

美味しいビールを飲むために喉渇いてるの我慢して、まだまだもっともっと美味しく飲むためにもうちょい我慢して、

さあ今だ!やっぱビール、最高!!

 

というような状態。

 

ほんっとに!いいわ~♪やっぱ、いいわ。

沁みるわー。

最高だわ(涙)

 

この2ヶ月間、

どういうわけか美しい歌声しか受け付けなくて、

森山直太朗とサイモン&ガーファンクルを交互に流していた。

楽なのだ。

 

私は直太朗のピーンと張った美しい歌声が大好きだ。

ライブでの生声は更に素晴らしい。鳥肌が立つ。

あの歌声は間違いなく名器だ。

 

サイモン&ガーファンクルの声も落ち着く。

不思議なリラックスを与えてくれる。

 英語で意味が分からないのが尚ありがたい。

 

でも中島みゆきはかなり根性入れないと聴けない。

あの声と歌い方(ごめん)に圧倒されてしまう。

だけど、歌詞は・・

 

この人は天才なのだな、と確信する。

 

湧き上がる感情をどう表現したらいいのかと迷うことがあるが、

それを見事に的確に代弁してくれている。

こんな表現方法があったのか。こんな言葉知らなかった。

 

という感じ。

 

 

問題集

問題集

 

 「 あなたの問題集は 私にはたやすく見える
私の問題集は あなたにはたやすく見える
取り替えてみたい気がする」~問題集より引用~

 

うーん。深い。

 

中島みゆきさん。

同じ時代に生れてくれて、ありがとう、

と、こちらのほうがお礼を言いたいです。

 

あー。聴けて良かった。超・満・足。

 

 

 

 

 

人活(にんかつ)

人参を積極的に摂る活動。略して『人活』と勝手に名づけた。

 

わたくし、人活に励む決意を致しました。

 

夕べ「世界一受けたい授業」という番組を観ていたら、

なんと、

人参が慢性疲労に良い、と。

脳の炎症を抑えるのだそうな。

 

あー!ほらー!やっぱりなーー!!だから食べたいと身体が訴えてるんだよ。

 

てなもんで。

 

野菜は毎日驚くほど食べているのだけど、

それでもなお身体が求める。

しかも人参。

 

こうなったら人参千切りにしてジップに入れておいて、

毎日食べよう。そしたら便利かな。

塩きんぴら、白和え、マリネ、サラダ、煮物に放り込むなどして

積極的にバンバン人参を食べよう。

 

ということで、

がんばろう。