舌の根も乾かぬうちに
強烈な鬱状態に見舞われ何もかもが気に入らなくなった。
イライラからはじまって底知れぬ不安に陥り最後にいつもの自己嫌悪がやってきた。
自分が許せない。全然ダメだ。と、自分を責めまくって苦しんでいる。
実はわたしは何も分かっていない。
半世紀も生きてきたというのにこんな簡単なことさえ理解していないのだ。
自分の価値観に基づいた生き方をするのは一見立派にみえる。が、
気をつけないといけない。
信念とは凶器のようなもので、それを他人に押し付けた時点で暴力になる。
信念が強ければ強いほど、価値観がはっきりしたものであればあるほど、
振りかざされた刀の威力は人を殺すほどの破壊力がある。
そういうところがあるのだよ、わたしには。
直接本人に言わない所だけがまだ救い。
それは単に自分が口出しされたくないから他人の人生にも口出ししないだけで、
おっとりとしたイメージの裏にとてつもない暴力性を心に秘めているのだ。
なにやってんだろう・・・いい年をして。
こういう精神状態に陥るといつも自分を差し置いて他人を責める。
直接言わなくても心の中では責めまくっている。
他人を責めたあとはお決まりのコースで自分を責める。
あの時あんなことをしなければ、あの人に出会わなかったら、
まさに「たられば」のオンパレードだ。もう後悔しかない。
鬱に陥って自分を責めて涙を流している自分の横にもう一人の自分が立ち、
「わたし、何で泣いてるんだろう。子供みたいだな。」と首を傾げながら眺めている。
どんなに偉そうな事を言ってもね、
結局わたしなんて何も解かっていないのよ。
言ってることもやってる事もめちゃくちゃだから。
そんなこんなで急に甘いものが食べたくなった。
節約生活をしているので家の中にお菓子なんて無い。
作って冷凍してあったやつも食べきってしまったしそれ以降は調子悪くて作る元気もなくてラップに包んで保存した冷凍室のお菓子は空っぽだ。
甘いものを求めてとりあえず蜂蜜を舐めてみたけど全然ダメで、
キッチンの引き出しとか水屋の奥をガサゴソ探し回った。
椅子に乗って棚の奥を覗いていると賞味期限の過ぎた缶パンが一つ出てきた。
缶パンか。
他人のことどうこう言うなんて100年早いわ。
ああアホらしい。ああもうイヤだ。何もかもイヤだ。
生きてることさえ面倒くさい。それでも生きていかなきゃいけないなんて自分キチガイじみてる。
悪態をつき捲りながら缶パンを貪り食った。
白い金平糖が4つ入っていた。
たった4つ?缶パンの中にたった4つ!?マジかよ缶パン!
ああもう。
明日鍼でこの鬱がころりと落ちたら(体調による鬱なので憑き物が落ちるかのように鬱が消える事はしばしば経験している。これを”うつころり”と呼んでいる。)
和菓子屋によって最中を買おう。皮がぱりぱりのやつ。幾つ買おうかな、最低でも2個は食べなきゃ気が治まらないな。
それにしてもどうしてこんなに甘いものが食べたいんだろうね。
でもさ、太ってもいいさ。生きてさえいればダイエットだってできる。
体調崩したってまた戻る。とりあえず今は生きているということ優先。
甘いもの食べて生きることを選ぼう。