**HSPのてんこ盛り**

もう、なんというか・・・ほんっとにね!(TT)大変だわ。。

弱った身体にまさかの帯状疱疹

 

あれから、

治療以外どこへも行かず(行けず)家の中で必要最低限の家事だけをこなし、

毎日ごろごろと過ごしていました。

 

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それなのに、

必要最低限の、洗濯物を畳んだり食器を片付けたり掃除機かけたり、

そのレベルが今の私には「重・労・働」に感じいっぱいいっぱいでした。

 

私は怠けているのではないか?という気持ちがぐるぐる回りはじめ、

いまは仕方がないけどもう少し回復したらまた頑張ろうがんばらなきゃ、と言い聞かせていました。

 

ところが、

私は本当はもうめいっぱい頑張っていたのです。

認識が甘すぎたようです。

 

身体が悲鳴をあげました。

 

金曜日の夕方のことです。

ウエストの右側がチクチクし始めたなと思ったら(痛みの症状はよくあることなので)

あっという間に激痛になり治まっていきません。

 

かつて何度も肋間神経痛を患っているので、今回もそれかと思い、

様子を見ていました。

 

ところが、肋間神経痛は痛みに休憩があるのに対して、今回は痛みはマックスで寝ていてもどんな姿勢になっても治まることがありません。

もちろん眠ることなどできません。あまりの痛さに吐きそうでトイレに座ってスタンバっていたくらいです。

 

まるで火傷のような痛みです。

皮膚の表面は火傷みたいで内側はシクシクドシーンという感じ。

 

翌日の土曜日、

病院に行って採血、検尿、レントゲンの検査をしたのに白。

痛み止めの飲み薬と座薬をもらって帰りました。

 

そして、月曜日の今日。

痛みは治まることないので、これは鍼へ行くことにしました。

 

そしたら、

『あれ、これ帯状疱疹や!』

 

痒くなかったので気がつかなかったけど見れば前に大きな一個(虫さされかと思っていた)と後ろにいっぱい小さな赤いのが出ていて、

火傷みたいなヒリヒリした痛み、

 

・・・・・・ここまで書いたところで、

 

日にちは変わり今日は8月25日、

 

夕べは激しい胃痛と背中の痛みに襲われて一睡もできず、

朝一番に鍼へ行きました。

 

快眠、快食、快便、は健康の基本ですが、

痛みと闘って一睡もできない、という状態は過酷ですね。

怠けているどころか必死に頑張っていますよね。

 

何かが出来たら今日は頑張った、という表現は大きな間違いだとあらためて思いました。

それは色んなことが出来た動けた日、という事にすぎません。

 

もちろん「自分は怠けているんじゃないか」という思いは鬱の症状の一つなので仕方ないです。

風邪を引いたら咳が出たり熱が出たり、という症状があるのと同じで、鬱になると時運はダメだ自分は怠けているのではないか、という気持ちになるという症状だからです。

だけど、自分を責める必要は全くないんですね。

 

ところで、

何もがんばっていないように思っていても身体は必死で夏の暑さや諸々と必死で戦っていて、それでももう限界になって帯状疱疹という形で姿を表しました。

 

この帯状疱疹というやつ、

怖ろしいです。

子供の頃にほとんどが経験する麻疹は消えたわけじゃなくカラダの中でひっそりと息を沈めて体が最大限に弱った時を狙って再び活動する時を待っているんだそうです。

 

治るのに1ヶ月くらいかかるみたい。

痛みで点滴したり入院する人の居るらしいです。

 

今回、わたしの身体は弱っていたんでしょう・

それだけ、

 

あ、

また疲れてきました。

 

こういう状態なので、めちゃくちゃな文章でごめんなさい。

PCに向える時間が短いのです。

なのでそのまま読み返さずに公開しちゃいます。

 

何が言いたいかというと、

この夏の暑さは生きてるだけで身体を弱らせるほどの威力なので、

今は怠けているとか頑張れないとか、そんなことを思わずに堂々と休んでいよう。

 

と自分の身をもって教えられた、という話でした。

 

帯状疱疹ね、ウエストからベルト状に右半分だけ前と後ろ痒くない真っ赤な腫れ物ができているんです。

火傷したかのように痛いです。

 

そして、弱りきった身体という土壌に現れるので帯状疱疹だけじゃなく自律神経や持病や鬱などにも影響を与え、そうとうキツイです。眠れない食べられない、です。

 

暑すぎるこの夏、

もっともっと自分に優しくしてあげようと決意したのでした。

 

 

 

 

 

 

波に飲み込まれてしまったみたい

 

3月から体調の悪い日が続いていた。

 

桜の咲く頃に一度大きく崩れ、

少し回復したものの7月に入ってまた不調の日が続いていた。

 

背中の痛みや車酔いのような独特の気持ち悪さ、

お腹の調子が悪く胃がシクシクする等の症状があったものの、

どうにか大きな鬱にはならずにすんでいた。

 

ところが梅雨明けして、

一日だけ散歩に行って、

 

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その後、

鬱になった。

 

音煩い、光眩しい、匂いイヤ、で寝込んでいたときはまだ鬱の身体症状かな?

程度だったのが、

朝散歩に行ったあの後から、精神的な症状も出てきた。

 

生きていて申し訳ない。

 

それしかない。

 

気を紛らわせるためにテレビをつけてもムリで消してしまう。

普段好きな音楽も聴けない。

人と会話なんて出来ないし外にで出るなんて考えられない。

 

ついに来た。

 

今は生きているだけで丸儲けだと思ってやり過ごそう。

死ぬくらいなら何をやってもいい、と夫は言う。

常軌を逸したことをしでかしてしまったとしても、生きていたらまた名誉挽回できるから。

 

甘いもの買ってきてもらって食べたいもの食べられるものだけ食べて、

誰にも会わずどこにも出ずにじっとしてるんだ。

いいんだ、もうどうでもいいんだ。

 

今の目標。

とりあえず、生きている。それだけで十分。

 

そう言い聞かせている。

 

 

覚悟はしてたけど夏が来てしまった

 

一番ニガテな季節がやってきてしまった。

 

背中と後頭部が暑くて眠れない。

アイスノンピローやひんやりシートで工夫しても、

だるさを伴ってなかなか眠れない。

 

ちょうど5時に何度目かのトイレに起きた時、

 

よし!散歩に行こう、と決めた。7月になってはじめての散歩だ。

 

カーテンを開けるともう朝だ。

愛犬はすでに朝の散歩のために夫が起きるのを待ってスタンバっていた。

 

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陽は東から昇るってことを今更確認する。

私のいつもの散歩は夕方だから太陽の位置が逆だ。ああ、いま朝なんだな、と笑う。

 

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一輪だけ残っていた。

ここに居ますよと香りも強く主張している。

 

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これ。

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何の木だろう?

高くて大きな木にピンクの刷毛のような花が沢山ついている。

まるで桜の花びらが散ったかのように地面がピンク色に染まっている。

 

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夫と坊の後を追いながら考えていた。

 

あとどのくらいこの景色をみることができるだろうか。

11歳の愛犬とあと幾つの夏を一緒に越えられるだろうか。

 

職を失って4ヶ月。僅かな貯蓄を切り崩して生活しているけどそう長くはもたないことも知っている。とりあえず今わたしに出来る事は支出を抑えるために節約することくらいで、

代わりに働く(働ける)という選択肢が無いのが悲しい。

 

1年経った時、

この景色を一緒にみることができるだろうか。

形は変わったとしても、同じような気持ちで「今が一日でも長く続くといいな」と思いながら暮らせないものだろうか。

 

前を歩く夫の赤いシャツがふわふわと風で膨らんで揺れている。

この人は柳の木のような人だな、と思った。

 

スケールのでかい大木のような人でもなく、

これは規格外なので木として分類できませんな、という実弟のような珍種でもなく、

風に流され細い枝が揺れて一見頼りなさ気で、でも芯の強さを持っている柳の木だ。

 

職を失ったことで今でもこれから先どうなるのか不安しかないというけれど、

同時にお金が自由に使えなくなったことで本当に必要なものが見えてきた、とも話している。

私も食費が二人2万にならなかったら、自分でどら焼きや饅頭を作ろうなんて考えなかっただろう。買ったほうが安いし、なんて今も言っていたんだろうな。

 

一年後の夏、二人と一匹はどんな景色を見て過ごしているだろうか。

成るようにしか成らない。だから、

不安な気持ちはとりあえず今は置いておいて、日々淡々と生きていこうか。

笑いながら。

 

 

 

いま強烈に気持ち悪い

 

梅雨の晴れ間。

 

外はこんなに青空で入道雲が出ているというのに、

気持ち悪いったらありゃしない(泣)

 

朝から夫が着けていたTVの音、

窓に入る光、

うるさい、眩しい、気分悪いーー!

 

一人で本を読もうにも頭が働かないから字が読めず意味もつかめず、

体を動かすこともできず、

 

で、

カーテン閉めて真っ暗な部屋で布団かぶって寝込んでいました。

 

きっと大型台風が接近しているせいもあるのでしょう。

いや、これが一番の原因なのかな。

 

気圧下がる時、

いつも寝込んでしまう。

大型の台風なんてひとたまりもないな。

 

きっと梅雨が明けて夏に慣れたら、

それなりに、低いところでもいいから安定してくれるかな。

 

ただ、

夏、一番嫌いなんだけど。

夏の好きなところ、夏が楽しみって思えること、見つけなきゃ。

夏の美味しい食べ物とか、夏のおしゃれとか、とかとかとか・・・。

 

いま波の底辺に居ます。と思ってる。これ以上底辺まだ在るとかナシにして欲しい。

くぅぅぅーー(TT)

気持ちわりぃー!早く台風よ去ってくれ!わたしに小康を!小康をください。

 

 

 

 

うつの大波小波

この一週間、おなかを壊していて動く気力も体力も消耗しているうちに、

なんとなく鬱の波に飲み込まれていたような気がする。

 

夕べあんな動揺した記事を書いたのも、

今思えば鬱の仕業だったかもしれない。

そうとう参ってる感じがする。

 

私が大好きな作家の中島らも氏は、

自身が鬱病で途中で躁転したその様子をエッセイにしている。

 

心が雨漏りする日には (青春文庫)

心が雨漏りする日には (青春文庫)

 

 心が雨漏りする日には。

 

うつ病を扱った本が多く出版されている中で、らも氏の面白い文章と相変わらずめちゃくちゃな行動が「らもさんまたやってるよ~♪」的に、

私のうつな心さえ和ませてくれた。

そして、激しく共感できるところが幾つかあった。

 

例えば、

おれは昔からそうなのだが、どんな状況下にあっても、自分自身を観察するもう一つの目のようなものを持っている。喜んでいる時には、~中略~と思っているし、ピンチのときには、「おいおい、おれは今、かなり困っているぞ。いったいどうやって切り抜けるつもりなんだろう」と、他人事のように考える自分がいるのだ。

=「心が雨漏りする日には」の一文を引用=

 

ここが私と同じで、

私は冷静なもう一人の自分と表現していたが、恐らく同じものだろう。

この現象をなんと呼ぶんだろう、同じような人って居るんだ。

と嬉しかった。

 

私は感情にまかせたままブログを書くのでものすごーく動揺しているように思えるかもしれない。どれだけ取り乱しているんだ、と心配してくださる方もいらっしゃるかも。

 

ところが、らも氏現象で(と名づけてみました)、

もう一つの目が、動揺している私を眺めて面白がっている。

こういうことって他のうつ病患者さんもあるのかな?私の周りには居ない。

 

私は単極性のうつ病と診断されてはいるけど、

最近もしかしたら極端に期間の短い躁鬱なのではないかと思ってきている。

日替わりで、いや、もしかしたら時間単位での躁鬱。でも、そういうのって存在するのかな?

 

動揺して打ちのめされている私。

それを横で眺めている極度に冷静な私。

どちらも本当の自分だ。

 

しかしいつも思うのは、

私はさほど光も影もない単純な人間のようで、

鬱に陥りました→鍼でころりと落ちました→この時点では鬱の考えは憑き物が落ちたかのようにどこにもありません→体調の辛い日が続きます→また陥ります→鬱以外の考え方が浮かびません→鍼へいきます→鬱という憑き物が落ちます、

 

ずっとこんな感じで、

つかみどころがなくて30年近く一緒に居る夫でさえ理解できないらしい。

病気なのかもしれないし、個性なのかもしれない。

 

そういう意味では鬱状態の時に書く文章は私の中の鬱側からの一方的な考えに過ぎない。

だって憑き物が落ちた(比喩です)ときにもうその思いは消えているのだから。

これを鬱の波と言う?気分障害と呼ぶ?自分では分からない。

 

再び、らも氏の本からの引用。

ほろほろ酔って庭に出てみる。もう空が高い。星がきれいだ。目が良くなったので、星々がくっきりと見える。何十万、何百万光年昔の光。それに比べれば、おれ一人の人間が躁だ、うつだと騒いでいるのがほんとにちっぽけなことのように思える。(中略)

うつ病は確かに自殺に至る病ではあるけど、予備知識があればそれは避けられる。癌に比べればちゃちな病気だ。君もかすんだ目で星空を見ろ。そして叫べ。

「くたばれ、うつ病!」

 

”---本文よりーーー

 

らも氏に激しく同意。

 

 

 

 

いきなり突きつけられる現実

 

いきなり、私の知らない自分を突きつけられた。

 

誰かに言われたのではなく、自分で気がついて、

発狂しそうになっている。

 

私は孤独というものに異常なほど、弱い。

 

だが、自覚がなかったのだ。そう。今日まで、ついさっきまで。

むしろ自分は精神的には自立しているほうだと思い込んでいた。

どうしてそんなふうに思いこめたんだろう。

 

今、現実を知ったショックで動揺しているので凄い勢いで思いついたまま整理もせずにキーボードを叩いている。

 

記憶を辿ると、自分が精神的に自立していると思い込んだ(錯覚を信じた)のはこういうことだろう。

 

私は幼い頃からいわゆる普通の子供ではなかった。

それは普通の家庭ではなかったから当然なんだろうけど、

周りの大人に甘えることはなかったし「大人のような子供だったね」と振り返っては言われる。

 

保育園でも小学校でも普通ではないので他人との境は常にあって、

友達はいてもあまりベタベタしなかったし、転校するたび虐めのターゲットになりかけるものの精神的に同級生をコントロールして上手く逃れていた。

 

中学の時、私がクラスで仲良くしている友達が6人居た。

そしてクラスに一人とても嫌われている女子(J子)が居た。

誰もが彼女を避けていたし彼女は怒りっぽい性格だったので彼女もクラスメイトの中で孤立していた。

 

ところが不思議なことに、J子は私の事を気に入っていて家に遊びに来ることも多かった。

私も彼女の欠点はさほど気にならなかった。怒りっぽい性格は私の中では許容範囲内だったからだろう。そういうわけで私は嫌われ者の女子Jとも仲良くしていた。

 

ある日、仲良しグループが私を呼んで言った。

『私らさあ、Jのことが嫌いやねん。風花ちゃんはJと仲いいやんか。

風花ちゃん事は面白いし好きやけど、もしこれからもJと仲良くするんなら風花ちゃんと友達やめるわ。』

 

私はちょっと考えさせてと言って、

その日のうちに仲良しグループに宣言した。

 

『私さあ、みんなと一緒に居るのは楽しいよ。

けどさ、私、Jのことも嫌いじゃないの。みんなと同じくらい好きかと言われたらそれほどでもないけどさ、でも、嫌いじゃないのに避けるって、私にはできへん。

だからさ、Jと仲良くするなら私と友達やめるっていうなら凄く悲しいけど仕方ないと思う。好きなようにして。』

 

そう答えながらふと思った。

これ、前にもあった風景だな。

 

小学校1年の時のあれだ。引っ越してきたばかりの私にその時のボス(小一でもボスは居た)が「風花ちゃんとは遊ばん!」と言って5対1で喧嘩したあの時だ。

結局ボス的な女の子が風邪で休んだ時に日和見菌達は私に擦り寄ってきた。

 

3年、5年、と小学校は3回転校したからそのたびに良く似た経験をする。

3年の時もそうだった。

ある日突然家の近くの同級生が『お母さんが風花ちゃんと遊んだらあかんって言うからこれからは遊べへん』と言ってきた。

同時にクラスの男子の好奇心の的になり(転校生の宿命だな)カラカイが始まった。

 

しかし基本的に私は小学生を心からバカにしていた。

特に男子は簡単だった。今思えば男子の性格を見抜いていた。そしてコントロールした。

結果的に虐めにはならなかったし一人にもならなかった。

 

5年の時も同じような経験をしている。

 

そして中学でいま目の前に居る仲良しグループがこんな理不尽な選択を迫って来ている。自分の信念を曲げてまで一緒に居るつもりはない、と遠まわしに宣言している私が居る。

 

これも結果的にJと仲良くしていても友達は私を避けることはしなかった。

 

高校に入り、私は新興宗教に入ってしまった。

この時こそはこれまでの仲間とサヨナラする羽目になったものの、自分の信念のためならこれくらい平気だった。

 

家事は全て高校生の頃からやっていたし、卒業して父親が蒸発した時も母を支えた。

借金を残しての蒸発だったので危ない車で追いかけられた事もあったが命知らずだったためそういう人達とタメで話し合うこともあった。

 

そして数年が経ち結婚。

結婚2年目にして私はとても重いうつ病になってしまった。

それまでの色んな疲れが押し寄せてきたのかもしれない。しかし、私は頼るということも自分を労わることもできなくて鬱をこじらせてしまった。

 

長い長い説明だったけど、そういう経緯があるからね、

だから、夫からも友達からも親兄弟からも言われる。

風花は強い、と。

 

 

ところがだよ、ここからが今日のタイトルの本題だよ。

こんなの50年も生きていて今更知るなんてショック過ぎていつもなら11時半には寝るのに12時過ぎてもキーボード叩きまくっているよ。

 

夫がさ、

泊まりがけで資格を取ると言いはじめて、

もちろん二つ返事で応援したのに3泊すると聞いたとたん急に動揺して訳が分からなくなって「え・・?なんで自分動揺しているの?」と思ったら勝手に涙がぽろぽろこぼれてくる。

 

何でだろう?

あ、これだ!一人になるのが怖いんだ。これなんだ。

 

精神的に強いだなんて思った事は無いよ。凄く弱いという自覚は十分にあるよ。

だけど、精神的に自立しているとは思っていたし夫も私を知る人達もそう言っていた。

自立しているからこそ頑張り過ぎて甘えられず鬱になったのだと思っていた。

 

けど、これって、めちゃくちゃ依存しているじゃないか・・・。

 

一人が怖いなんて。なによこれ!

そんな自分にびっくりだわ。

嘘だろう私が???って、いきなり突きつけられた自分の姿に気が狂いそうだわ。

 

これまでずっと夫の仕事は自営でほぼ仕事場は家だった。

半日客先に行き昼からは家でコーディングというような生活をかれこれ25年は送ってきた。

その生活に慣れすぎて最近では失業していつも家に居る夫に少し息が詰まっていた。

 

ところが、3日家を空けると聞いただけでパニックな自分。

 

これって精神的に全く自立していないよね。

むしろ完璧に依存しているよね。

うわぁーー!こんなことでは私ダメだ。死んでしまう。

 

パニック障害を持っていて、これも医師と相談しながら一つづつクリアしてきた。

最初は一駅電車に乗るだけで高熱を出して寝込んだし失敗することもあった。

ところが市の駅まで行けるようになり他県にも、そして去年の今頃は一人で新幹線で2泊3日の旅をしたのだった。

 

ここまできていたのだ。

外に出ることばかり問題意識を持って頑張ってきて、一人で家に居ることは問題視したこともなかったよ。全くの想定外だったな。

 

怖ろしいわ自分。

どうしたらいいのか分からない。

パニック障害には留守番恐怖というのもあるらしい。それか?

 

大人のような子供で精神的には自立していると思い込んでいたのに、

こんな問題が潜んでいるとは思わなかったな。

どうしたらいいんだ。私はこれからどうしたらいいんだ。どこから手をつけたらいいんだ。こんなので生きていけるのか。

 

 

 

トリプル台風の仕業?

 

背中の痛みがハンパなくて意識が朦朧としている。

 

起きているのが辛いからデパス飲んでベットに横になっていたら、

お腹の痛みに起こされた。

 

そしてまた、トイレの住人になった。

 

すべての力が失われる。何もできない。何も食べられない。

生きてるだけで精一杯。

 

これが治まったら、ちょっとだけ小康を得たら、

次は何をしよう。

どんな美味しいものを食べて、どんな楽しいことをしようか。

 

あ、いっぱいいっぱい、ってこういうのなんだな。

 

明日は少しマシになれ。